懐かしい風景

 

 

今年も春がやってきました。まどの外には2年前この部屋に越してきた時

と同じ風景が広がっています。

ほんの一角ですけれど、竹の林と、その手前には畑があります。毎年今頃

には薄紫の蓮華草の花畑が広がります。

 

あくまでも野原というわけではなく、大きく3面に分かれているこの土地

は、普段は真中が野菜畑で両脇が田んぼです。その田んぼの部分が、稲刈

りが終わると、水も引いて蓮華草の花畑になるのです。

 

蓮華草の花に混じって、たんぽぽやオオイヌノフグリ、つくし、子供の頃

に沢山見かけた草花達も発見できます。

ちょうちょがふわふわと、まるでダンスのようだし、すずめも程よく賑やか

です。そうそう、私が子供だった頃には当たり前だった風景。

 

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幼い頃の遊び場は野原だった。家の周りにも、別に花壇をつくったり、ガー

デニングとかをしているわけではなく、当たり前のように草花があった。

 

一面つくしんぼの野原や、白い蓮華草が沢山咲いている草原が沢山あった。

暖かくなると、よくそこで遊んでいたな〜。花束や花冠はもちろん、外で

するおままごとの中では、どこからともなく拾ってきた平らな石や木のお皿

に、お花を盛り付けたり、大きな石の上で、草などを小さな石で刻んだり

(まな板と包丁のつもり)、、、

サルビアの花の蜜が甘いのも、オシロイバナの粉(種)が白いのも、ノビル

という草の根っこが食べられるってことも、とっても嬉しい発見だったし、

それを教えてくれる、お姉ちゃんや、近所のちょっとだけ年上のお友達のこ

と(いずれも自分と1〜3歳しか変わらない子供)を、すごい!と思ったり

していた。

 

地面との関係がとても深かったように思います。緑のじゅうたんの上に座れ

ば、バッタやカマキリなんて居て当たり前だった。

 

小学校からの帰り道も、草や花を摘んで歩いたっけ。。。

ぺんぺん草(本当の名前は?)、ヒメジョオン、野イチゴや山葡萄の実、

よもぎなんてとても身近でした。春には春の、夏には夏の、秋には秋の、

冬には冬の、花や草木の色と香りがあった。

 

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思わず幼い頃の記憶が甦ります。

 

今確かに、目の前に良く似た風景が広がっている。しかし、確実な違いが

ある。立ち入り禁止。当然ですね、だってここは人様の畑。。。

 

しかし、子供の頃見ていた風景が、こんな貴重で珍しいものになってしま

うとは・・・!

もちろん公園などに出かけたり、ちょっとした路地の片隅に、このような

光景を見かけることがある。でも本当に珍しいものになってしまった気が

します。

 

もしかすると、これを読んで下さった方の中には、「え、豊崎さんて、いつ

の時代の人?」と思う方も居るかもしれません。

確かに、私と同じ世代の人となると、都会育ちと田舎育ちでは生まれた頃の

環境は既に大きな違いがあったのではないかとも思いますし。

 

ちなみに私は1971年生まれです。生まれ育った場所は茨城県。そりゃあ

田舎でしたから、同じ年の方でも、もう既に自然なんてあまり無かった、と

いう方もいらっしゃるでしょうね。

 

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ある意味私は自然のありがたみなんて、子供の頃はわからなかった。

それよりも、10代半ばになると、都会に憧れました。そして後には実際に

家族のもとを離れ、東京に出て行きました。

 

憧れの都会暮らし。いや、実際は都会暮らしがしたくて上京したわけでは

ないけれど、およそ10年近くもの間、都会の真中で私は夢中で自分の事を

探していた。

 

都会での自由奔放な暮らし、楽しくもハチャメチャな貧乏暮らし、人間関係

の中に、職場の中に、雑踏の中に、ビルの谷間に、スクランブルな交差点の

中に、努力と苦労の中に、自分の姿を探していた気がする。

 

何より、自分自身の中の夢と希望と野望の中に、探していたような気もする。

 

そしてそれらは、今思えば、都会のアスファルトの上に立ち上った蜃気楼の

ようなものだった。

 

しかしその蜃気楼を見ずにはいられなかった。初めはちらついて直視できな

かった蜃気楼も、いつしか揺ら揺らしてはいるものの、全体を何となく見る

ことが出来るようになった。

そして、その蜃気楼の中の自分がこう言った。

 

『良くここまで来ましたね。おめでとう。でもあなたのビジョンは、もう

ここにはないでしょう?』

 

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そしていとも簡単に東京を離れ、今に至ります。

大阪に来てもうすぐ4年。

 

大阪に来てからというもの、急に自然や田舎の風景が恋しくなりました。

2年前、結婚を機に引っ越すことを決めた時も、便の良さよりも少しでも

自然に近づきたい、そんな思いもあり、不動産屋さんにこのマンションを

案内してもらった時も、この風景が決定打になりました。

 

オーがニックや環境に優しい暮らし方に関して興味が出てきたのもその頃。

かといって、決して地球が危ない!とか、救え!とか、そんな感覚では無い

のだけれど。

人間も、植物も、ありとあらゆる自然たちも、ナチュラルなほうが気持ち

良いに決まってる。私がナチュラルでありたいように、森羅万象の全てが

ナチュラルでいる事は気持ちがいいだろうな、と、思うのです。

 

だから私も出来る範囲で心地良い範囲でナチャラルでいたいです。

 

そして今なお、自然に対する思いは深くなっています。お向かいの鮮やかな

グリーンたちがつややかに風の通り道を見せてくれる。

 

懐かしい草花達が、私の記憶の糸を紡いでくれる。

 

今、ちいさな一角の懐かしい風景の中に、沢山の記憶と沢山のビジョンを

見ることがあります。つまり、癒されます。

 

それはありのままで居る自然たちが、あまりにも気持ち良いからです。

気持ちよい存在で居てくれるからこそ、癒されます。

 

なぜなら、気持ち良い存在に近づくと、自分の中にあった気持ちよさが引

き出されるからです。

 

★癒しの法則★

あなたが何かに癒されたと思うとき、それはあなたの中にも、それに答え

られる(同調できる)だけの癒しの力があるからです。

 

★気持ちよさの法則★

あなたが何かに対して気持ちいい、と感じた時、それはあなたの中にも、

それに同調できるだけの気持ちよさを持っているからです。

 

懐かしい風景と、ビジョン、癒し、私、精神、からだ、大地、自然のすべて。

とても書ききれないけれど、いとおしい総ては繋がっていますね。

 

この文章でさえも、今目の前に広がる、一角の懐かしい風景と私の記憶と、

ビジョンが織り成す、私への贈り物です。

 

 

 

               2001年4月12日 豊崎優子

 

 

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